無職日記 2022年1月17日(月)
無職になってから、お菓子が美味い。
無職でない時もお菓子はずっと美味かったが、あきらかに食べる量が増えている。
昨日薬局で袋入りのポテトチップスを5つも6つも嬉しそうに買ってきた。
そういえばその前々日もお菓子を買ったはずだ。
最近のお菓子の消費実績を記しておく。
一昨日はでかいチップスター(梅味)とマイク・ポップコーン、
昨日はすっぱム〜チョ(梅味)とうまい輪(チーズ味)とグミ、
を食べた。食事の代わりに食べた。何も考えずに食べた。
あまり外に出たくないので一度買い物に出るとお菓子をまとめ買いしてしまうのがよくない。
家にお菓子がたくさんある
↓
お菓子があると思うと食べたくて仕方なくなる
↓
「食べたい」「我慢だ」「食べたい」「我慢だ」を繰り返す
↓
結局食べる
↓
ひとつもふたつも変わらないのでもうひとつ食べる
この流れが常態化しつつある。
鉄板ネタみたいになっちゃってる。
とりあえず、お菓子が美味しいのは仕方のないことなので、もう少し自制心の強化をはかりたい。
無職の時間の溶け方
無職になったらなんでもできると思っていた。
英語を勉強して、映画やドラマを楽しんで、
資格の勉強もして、小説なんか書いてみたりして・・・
と、無職=無敵と思っていた頃が懐かしい。
労働に使っていた時間をまるまる自由に使えるのだから、さぞ充実した毎日になることだろうと夢見ていた。
しかし、約一ヶ月間のプレ無職期間(有休消化)を過ごしてみて、やはり環境が変わっても人はなかなか変わることができないというのを実感している。
会社勤めをしていた頃には、頭の中が仕事のことばかりで趣味も勉強もやりたいと思ったことがなにも手につかず、仕事以外の時間もボーッと生きているだけだった。
無職になって仕事のことは考えずによくなったものの、今度は「これから先どうしよう」という莫大な不安に襲われてしまい、またなにも手に付かない日々となってしまった。
これは以前に増して良くない。良くないというより、あきらかに悪い。
仕事を辞めて、ただボーッとしているだけの時間が激増しただけだ。おまけに無収入。
志がどれほど低くても、仕事をしていればまだ社会の一員としてのメンツは保てるだろうが、何もしていないので自己肯定感がぐんぐん下がる。
半年間〜一年くらいは無職楽しんでやろうと思っていたが、こんな生活ではダメだ。本当にダメなやつだ。せめてなにかしようともぞもぞしながら書いている。
一ヶ月間も無駄を極めし生活をしてようやく重い腰を上げようとしている。
まずは目標を決めて書き出そう・・・よっこらしょ。
東京で見た面白かったもの
田舎から東京に来て、たくさん面白いものを見た。
都会には田舎にないものが大量にあった。人がとにかく多すぎるし、建物もデカすぎるし、街中が見たことないものに溢れていた。
例えば「バーニラ♪ バニラ♪ バニラ♪」の車とか。
上京して初めて選挙カー以外の車が喋っているのを見た。
同郷の友達の間で、あっという間に「東京あるある」の筆頭になった歌う車の代表格ことバニラ求人のテーマソングである。
田舎の道路で聞こえてくるのは、見るからに地元でぶいぶい言わせてるような車高がやたら低い車から爆音で再生される謎ラップの重低音くらいなので、街中に大いにその存在をアピールしながらどでかい道路をゆっくり走行するバニラカーが、田舎の民にとって都会を象徴するアトラクションのひとつになるのは当然である。
また、田舎民はとりあえず新宿や渋谷などの大都会で集まりたがる習性があるため、特に上京当初は目にする機会が多かった。
「あ、バニラきたよ!」と言えば、固唾を吞んで見送る。夢中になって見ていた。
そして「バーニラ♪」と一節歌うだけで手を叩いて笑っていた。
まさに都会の青春を彩るテーマソングといってもいい。
今でも見かけるとちょっとテンションが上がる。たまに口ずさんでみたりする。
でも何が面白かったんだろうと考え直す。都会に染まっちまったな。
馬が憑いていた(らしい)頃の話
「馬が憑いている」と言われたことがある。
中学生くらいの頃、人格があまりにもゴミだった。私の人格の良し悪しグラフを作成するとすれば、概ねかなり低い位置で推移することになるが、突出して中学生の頃の人格は最下層を突き抜けるくらい良くなかった。
タバコだ酒だとか、わかりやすくグレるとかはなく、ただ単純に性格がめちゃくちゃ悪かった。
内弁慶なので、家族に対しては猛烈にキレ散らかしていた。
とにかく何もかもにイライラしていた。
1000%私が悪いようなことでも、どうにかこうにか逆ギレして、母親と取っ組みあったり、暴言を言ったり、家具を破壊しようとしたり、父親には殴られたり、なんか今昔のことを思い出そうとしても、あんまり覚えていないし、断片的に暗い灰色で再生されるので現実味がない。あの時の私、本当に実在した?
母親は疲れて、私を占い師のもとへ連れて行った。
人格がクソすぎて占い師にみてもらうなんてもう最終中の最終手段だろうが、それくらいどうしようもないクソガキだったんだと思う。
嫌々付いていった際に占い師に冒頭のことを言われた。
「馬が憑いている」と。
あー、そっか、なるほどね、それなら仕方ないよね、馬憑いてたらそりゃそうだよね
とはさすがにならない。
自分の人格が腐っているのは、本人が一番理解しているのである。
なので私は、馬は憑いていなかったと思っている。
こんなクソすぎる人格をよくわからない馬のせいにしてしまうの忍びない。
むしろ私の性格が悪すぎて、馬もちょっと引いていたのではないだろうか。
その後、占い師の言いつけで毎晩神社へ参拝しに行き、馬の置物を部屋に飾るなどした。
おかげかどうか定かではないが、あの頃より大分マシになったと思う。
ありがとう、感謝。
馬「俺のせいじゃない」
馬の冤罪は晴れない。
手帳に日記を書いていた頃
今週のお題「手帳」
手帳に日記を書いていた時期がある。
それは高校生の時分、キデイランドで選びに選び抜いたアンパンマンのスケジュール帳だった。
ちなみに、このアンパンマンというチョイスは「高校生なのにアンパンマンが好きというのはマイナーで可愛いし、ウケる」という魂胆で行ったのだが、それを狙っての購入だということが見え透いてしまっているので痛々しかったと思う。なのでウケない。別に何も言われなかった。
「みんなと違う趣味をしている」で、アイデンティティを保とうとするとスベる。その上、周囲の人間は割とそのにおいを嗅ぎ取るのがうまかったりする。
「ウケ」や「あざとさ」「ギャップ」を、本人が狙ってとろうとすると大抵は察知されてしまうし、逆に自分が察知することもよくあることだ。
身につけるものはちゃんと自分の好きなものを選ぶべきだ。「周囲の人間にどう思われたいか」をベースにするのは辞めた方がよい。いつかあの時の自分を客観視した時に「ああ、もう、ばかー!」みたいになる。
面白いかもと思った偽装天然発言も、ほんとは届くのにちょっとした背伸びをするのも、道路脇のちょっとした段差を両手を広げてふらふら歩いてみるやつも、絶対してはならない。バレるから。可愛いと思われたいのがバレちゃうから。(※私は上記すべて経験済み)
あるがままの自分を愛し、心から欲するものを身につけていこう。
印象のために偽りの自分を創り出さないこと。よく心に刻んでおく。
ということで現在26歳の私はポケットモンスターの手帳がめちゃくちゃ欲しい。
また何か道を踏み外した音がする。
ちなみに、当時書いていた日記は、3ヶ月で終了し(よく保った方だと思う)、最後の日には「うんこ。」とだけ書かれていた。
数年後に見返して腹を抱えて笑った。相変わらず自分には甘い。
笑いを舐めるな。
初めてまゆげを手入れした日のこと
美容アカウントが好きだ。
Twitterで「ビューティー」カテゴリーのツイートをただただ眺めているのが好きだ。
なにもしなくてもキラキラ女子の仲間入りをしたみたいな気分になっている。
「女の子って本当にたのし」そうだなあと、田舎の女子中学生がティーン誌のオシャモに憧れるのと同じような気持ちで日々Twitterを見ている。
中学生といえば、初めて学校で友達と「デコだし」というヘアスタイルをやってみた時に、
ゴリゴリ坊主で一年中なぜかほっぺが真っ赤な野球部の男子に
「まゆげが・・・」と
ボサボサまゆげを指摘されたことがある。
それまで眉の形など一ミリたりとも気にしたことがなかったが、これにはかなりショックを受けた。
なにせゴリゴリ坊主で一年中ほっぺが真っ赤な野球部の男子にさえ美意識で大敗してしまった訳なので。
その夜、早速私は眉毛を整えることにした。
家中探して見つけた、もはや「これはゴミではない」と言う方が難しいくらいに錆びついたカミソリと工作用のハサミで、正しい眉毛の形も全くわからぬまま、顔面上で刃物たちを踊らせた。
その結果、私のまゆげは「もう手のつけようがありません」という程の散々たる様相を呈していた。まあ案の定である。なにも知らない素人が自分で勝手にまゆげをいじくりまわして、生きて帰ってこれる訳がない。
しばらく「これはきっと夢だろうな」と現実逃避をしていたが、毛は一日にしてならず、現実を見なければならない。明日の平穏のためにもなんとかせねばと立ち上がる。
思いついた解決方法は3つ。
①ボンドで「植毛」する
②まゆげを描く
③諦めて生えてくるのを待つ
まず①は当然なし。思いついた時点で既に候補から外れているし、やる奴はばか。いちいちこんな案を書いている時点で相当頭が悪いし、数が多けりゃいいと思っているだけのカスである。
②は一番妥当な案だと思う。が、まゆげカットだけでも焼畑後みたいになっちゃうようなド田舎ハナクソ中学生が綺麗にまゆげを描けるはずがないし、逆にまゆげだけ綺麗に描かれても異様な顔面になること必至である。というか第一にまゆげを描く道具なんか持っていない。
もし当時の私がまゆげを描く道具を所持していようものなら、まずその前に新しいカミソリとまゆげカット用のハサミを買えと言わなければならない。順番を守れ。
ということで、母親の化粧ポーチを漁らせてもらうことにした。が、それらしきものが見当たらない。最もイメージに近いものでいうと、HBのえんぴつが一本出てきたのだが、ジョークにしてもさすがに恐い。
なぜ化粧ポーチにHBのえんぴつが・・・?
HBのえんぴつで顔面に一体何を・・・?
日常的に使用するものでも、出現場所によっては人を戦慄させるものなのだと知った。ペンは剣よりも強し。
改めてポーチ内を捜索していく。黒いスティック状の化粧品を発見し「これかな」と思い、回し開ける。キュポッと中から出てきたのはどうやらマスカラのようだった。
が、なぜかマスカラの先端は所々白かった。
マスカラといえば、ティッシュで何度拭っても、思わずつけ過ぎてダマだらけになってしまうようなサービス精神の塊のイメージなのだが、母のマスカラに関しては渇ききって驚くほどパサパサだった。
砂漠在住の人でもこんなにパッサパサのマスカラは見たことないんじゃないだろうか。
かつて黒々とまつ毛を彩ったであろう繊維たちが、ほこりカスのように白くなってブラシにこびりついている。もしも”マスカラのミイラ”という概念がこの世にあったとしたら、それに該当するだろうなと思う代物だった。悠久の時を経たマスカラ、君は一体いつからそこにいたんだい。そっとポーチに帰してあげた。
そういや母が化粧をするのなんて、年に何回かだったなと思い出す。
この親にしてこの子ありとはよく言ったものだ。ゴリゴリ坊主で一年中ほっぺが真っ赤な野球部の男子に、美意識で大敗するのが遺伝的に既に決定していたのではないかと諦めがついてくる。
描くのも辞めよう。母の化粧ポーチをこれ以上漁るのはちょっと恐いし、という思いもあり、②も断念。
もはやこれまで、無駄な足掻きはやめて諦めよう、大人しくまた生えてくるのを待とうと思った。
だが、それは突然やってくる。主に夜中に。
経験がないだろうか、夜中に謎の「勇気」が沸いてくる現象を。例えば試験前日、徹夜中に突然やってくる「なんとかなるっしょ」や、突然髪を短くしたくなって、居ても立っても居られず午前3時に美容院の予約をしちゃうなどの、あの現象である。
不幸なことに当時の私の元にもその「勇気」が最悪のタイミングで沸いてきてしまい、さらに良くないことには、
④絶対に諦めない!なんとかして状況を打破する
を採用してしまった。
よっしゃあ!とやる気満々、意気揚々とベッドを飛び出し、手にするは例のカミソリ。やめておいた方がいいぞ〜と理性担当の天使が弱々しく呼びかけるも、謎の「勇気」に取り憑かれた悪魔の暴走はもう止められない。
悪魔「黙ってみていろ!なんとかしてみせる!」
自らの手で荒らしまくった荒野の地(まゆげの話です)をなんとか整備しようと立ち上がる。道具は粗悪なカミソリ一本。負け確と言っていい。なんならもう既に色々負けている。自暴自棄だったし、無謀な賭けである。
案の定、もはや言うまでもないが、結果は惨敗だった。
剃りすぎておかしくなったまゆげをさらに剃っているのだからおかしくならないはずがない。ここまできても「あー夢だったか」と一旦逃避してみる。
見る影も無いまゆげの惨状に目を逸らしたくても、人類は顔面にまゆげとかいうおかしな毛をアホみたいに生やして剃ったり切ったりして喜んでいる変態種族なので、嫌でも目に入ってくる。
絶望の最中だったが、ここへきて突如一筋の光が差す。
「まゆげの形がおかしくなったのなら、まゆげを無くしてしまえばいいじゃない」
私の潜在意識に巣食うマリーアントワネット風眉毛ヤクザの降臨である。「パンがないならお菓子を〜」の圧倒的上位互換と言っていい。
いっそなかったことにすればいいじゃないか。ボサボサまゆげも、荒野も、今日の惨敗も、いっそなかったことにしてしまえばいいじゃないか。錆びすぎてもはや迷彩柄なんじゃないかと思えてきたカミソリの刃を見つめる。心なしか彼も喜んでいるように見えた。
こうして、初のまゆげの手入れは「全剃り」という形で幕を閉じた。
”全” か ”無” かという潔すぎる漢らしさを遺憾無く発揮した私の美容デビュー戦である。
自分の中では「ヒロ(恋空)みたいだなあ」となぜか悪くない評価だったが、周囲には爆笑された。
そりゃそうだろうがよ。